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ホリスティック・アロマを基点にフォーカシングやハコミセラピー、コーチングを統合し、心の癒しや自己実現をサポートする”BUNさん”こと立野博一さん。
自身の20年に渡るうつ体験やセンツ・オブ・ノーイングとの運命的な出会いなど、そこには想像を超える希有な軌跡があった。

Part 1 Part 2 Part 3


Part 1: 37歳、底付きからの生還 ― 自分を信頼する力が芽生えて

yu アンフォールドっていい名前ですね。
   
BUN 「アンフォールド」っていうのは、フォールドされたものが開いていく、
折り畳まれたもの、葉っぱやつぼみが開いていくということですが、
そういうアプローチが本質的で良いと思いまして。
ぎゅーぎゅー開いたりぎゅーぎゅー進めるんじゃなくって、
その人が持っている可能性とかか、自然な流れでほどけて開いていくとーー
そういう意味を込めています。
   
BUNさんは、トランスパーソナル心理学系をはじめ、様々なセラピーやワークを学んだが、当時(20年近く前)のアクティブで積極的な、いわゆる「揺さぶりをかけるような」ワークに違和感を感じていた。
そうした中でアロマと出会い、またハコミを学び、「アンフォールド」という名前に自身のセラピーに対する思いを込めた。
   
yu BUNさんは、どうして”BUNさん”なんですか?
   
BUN 随分昔なんですけど、あるWSに参加していて、あだ名を付けるのが得意技の人が居たんですよ。全く初対面の人だったんですけど、その人がいきなり、「君はBUNという名前がいいんじゃないの?」と言ったんですよね。で、それ以来、”BUN”。
本人に聞いたら意味はよくわからない、直感でひらめいただけ、ということなんですけど、まぁそれもいいかな、と(笑)。
本名の「立野博一」というのに子どもの時から微妙な感じを持っていたんですね。なんとなく違和感があった。
"BUN"?  あ、すごい言いやすいね、いいね、、と思って。
呼びやすい、覚えていただきやすい、印象に残りやすいと思うんですよ。
で、それを受け入れたってことなんですよね。

立野 BUN 博一


たてのひろかず
埼玉県出身 1961年生まれ。
アロマ・ソムリエ/ホリスティック・コーチ/NHK学園講師/「アンフォールド」主宰。
アロマテラピー・スクール “セリスト” アロマ心理セラピストコース修了(第2期)/ハコミ・セラピー レベル3修了(第4期)/CTI コーアクティブ・コーチング応用コース修了(第65期)/プロフェショナル・キャリア・カウンセラー/社団法人 整体協会 会員/日本コーチ協会(JCA)正会員/(株)チームフロー ”プロコーチ養成スクール” 第5期 参加中。
http://www.unfold.jp/(アンフォールド)

インタビュアー:鳥居優子
サイコセラピスト /臨床心理士/ハコミセラピー トレーニングコース5期生。
心理相談室「ユースフィア」主宰。

yu アロマにハコミに整体にコーチング、、、本当にいろいろやってこられてますよね。どんな経緯でこれらのことを学んでいったのでしょうか。
   
BUN もともとどこからはじまったかというと、長くなりますが、、、。
   
37歳の12月、BUNさんは人生2度目のひどいうつ状態に陥った。
30代前半ずっとうつの波があったが、その時は、どんどんひどくなって体が全く動けなくなってしまったという。
   
BUN 朝起きるんだけど身体が動かない。寝てるから天井見てるしかないんだけど、天井の模様が動いて見える。不安が高まってしょうがない。ごはんも食べられないし、目の前のコップに水が入っていて、喉が渇いてるってわかってるんだけど、コップに手を出す気にもなれないという状態。
混乱状態がひどくなって行き、医者に行くしかないと思ったのですけど、
まず電話行くまでが大変なわけですよ。こう這いつくばって行くみたいな。
で、電話のところまで行くんだけど、もう混乱してるからどこに電話をかけていいのかわかんなくなっちゃう。
救急車呼べばいいのかもしれないけど、それもわかんなくなっちゃう。
それで医者にも行けなくなったのです。
   
BUNさんは、結局医者にも行けず薬も飲まず、その状態を自力で乗り越えようとしていた。
セラピーや心理的なワークによって、もともと持っていた精神状態が増幅することもある。BUNさんの場合もそのような背景があった。
   
BUN うつがひどくなる前から、トランスパーソナル心理学系のワークショップに行くようになっていたから、それで促進された部分もあると思うんです。もともと持っていたうつ気質みたいなものが、増幅されて自分の中でどんどん激しくなった。
その頃は今と少し違っていて、もうとにかくプロセスを促進すれば抜けられるんだって、、、原則的に、ひたすら愚直に信じてたっていう部分もあったんです。
   
そして3ヶ月あまりが経ち、ようやく最悪な時期を通り抜けた時、BUNさんの中に何かが芽生えていた。
   
BUN 何とか一番ひどい状態は通り抜けたんだけど、でもまだ癒えきってなくて、くらくらしてる状態で過ごしていた。
その時に、"オレはこのままでは生きていけないぞ" と、さすがに自覚したわけですね。
そして自分の人生に必要な最小限のことを勉強し直そうと、仕事や住処もミニマムなところから、やり直そうと決意したのです。
   
引越して住むところも最小限にし、人生をやり直そうと準備をはじめた。しかしそこでまた予想外の事態に見舞われることになる。
その頃知り合って付き合いはじめたパートナーが、スピリチュアル・エマージェンシーと言われる状態に陥ったのだ。
   
BUN 私は住むところも最小限にして人生やり直そうと思っていたから、6畳一間に2畳の台所しかない小さな部屋に移ったのです。その引越の時に彼女が手伝いに来てくれたのですが、その日からその人、その最小限な所から出られなくなっちゃったんですね。
本人が言うのには、「入口のドアの向こう側まで『不安』が津波みたいにやってきていて、そこから出られない」と。
大通りを渡って向こう側に行けば自分のアパートへ帰れるのだけれど、それができなくなっちゃった。

私自身の方が、自分の人生をやり直そうとまさにまだその入口の状況なのに、そういう人をケアしないとダメな状態に追い込まれた。荷物が多いので、そこでは人がいる空間は1畳半くらいしかない。その空間からその人は出られないから、一緒にいる。その人は幻覚とか幻聴もあり、毎日ホラー映画3本見るような、激しい悪夢を見る毎日。

収入もないし、生活も破綻していて……このままでは私も彼女も路頭に迷っちゃう、ホームレスになっちゃうというギリギリの中にいたのです。

   
その限界ギリギリの状態でBUNさんは、その人をケアし続けた。そうして3ヶ月ほどが経ち、やがてその人もなんとか社会に戻れるようになっていく。
この限界ギリギリの状態を乗り越えたことが、BUNさんの大きな「自信」となっていった。
   
BUN その時は本当に無我夢中でやってるわけですけど、後から冷静に考えると…… 普通はそこまでやらない、やったら危険とさえ言える。でもその時はそれをやりきったんです。

自分がうつになった原因っていろいろあると思うんですけれど、1つは自分の人生で「これだ」と言えるようなことが全くなかったのが、大きかったようです。
何か交通事故みたいな出会いだったんだけれども、結果的に「あ、こういうことがあっても生き残れるんだ」みたいな自信を持てた。自分を信頼する力が、これで生まれたんです。
これだけメチャクチャなプロセスをよく生き残ったなぁ、サバイバルできたなぁ、っていうのが、自信になった。
これも、一番の大きな体験のひとつ、でしたね。

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