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「自分のため」が「相手のため」につながっていく

こうして言葉だけで説明していくと、とても抽象的で、何か難しいことのように感じられるかもしれません。img
でも、実際に体験してみれば、とてもシンプルな行為だということを実感してもらえると思います。
これまでの経験上で言える事は、実は皆さんすでにラビング・プレゼンスを感覚的には知っているのです。
それを意識的に使いこなせるようにするだけのことです。

ところで、このラビング・プレゼンスの考え方は、よく耳にする「誰でも良いところがあるはずだから、
相手のそうした面を見るようにする」という考え方に一見似ていますが、
実際にはとても異なった心の姿勢です。

「相手の良いところを見つける」では、どうしても相手を中心として、そこに自分を合わせていく形になってしまいます。
逆に、ラビング・プレゼンスの「自分にとって糧となるものを相手を通じて感じ取る」では、
相手が中心になるのではなく、あくまでも中心は自分自身です。

たとえば、「優しさ」のエネルギーを強く表わしている人がその場にいたとしても、
そのエネルギーがその時の自分には糧にならない場合もあるでしょう。
そうした時は、もっと別の、自分にとって必要なエネルギーを相手から感じ取り、味わっていけばいいのです。
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ラビング・プレゼンスは、相手のために何かをしようとしたり、相手の存在に自分を合わせてしまう行為ではなく、自分の存在にとって必要な糧を受け取ろうとし、それによって自らを満たすという、 基本的に自分自身のための行為です。

ですから、相手に左右されることなく、どんな時でも自分の心を深く満たし、
心地よさを生み出すことができるようになります。
それは自分自身でコントロールすることのできる、とても主体的な、
「自分で自分を大事にし、喜ばせてあげる」行為なのです。

かと言って、それは決して自己中心的な行為なのではありません。
自分を満たすことから始めるわけですが、
そうした自分の中の「満たされ感」が、相手の人との間に良いエネルギーの循環を生み出し、
最終的には本当の意味での深い喜びや安心感を相手の側にも与えることにつながっていきます。
ですから、ラビング・プレゼンスは、「利己」的行為と「利他」的行為を融合する道でもあると言えるでしょう。
この点については、次項でより詳しくご説明したいと思います。

なにはともあれ、そうした自分に必要な心の糧を受け取っていると、
心や魂が満たされ、深い心地よさを感じるようになります。
そうなれば、とても楽な気分でその相手の人と共にいることができるでしょう。

それは、一緒にいる相手が嫌いな人や苦手な人の場合でも、基本的には同じことです。
その人を好きになろうとする必要はありません。
ある程度ラビング・プレゼンスのあり方に慣れてくれば、「気持ちや感情」のレベルでその人を嫌いなままでも、「存在やいのち」のレベルでは自分に必要な心の糧をその相手から感じ取ることができます。

「すべての人の中に仏が宿っている」(仏性)という考え方がありますが、
相手がどんな人であっても、その存在の深淵な部分へと目を向ければ、
その人の「いのちの表現」として、何らかの普遍的価値が感じられてきます。
ですから、その場にいる相手の人の存在そのものに意識を向け、
そこから自然に放たれてくる普遍的な価値やエネルギーへと目を向けてみて下さい。
すると、その時の自分にとって必要な心の糧を感じ取り、味わうことができるでしょう。

いずれにしても、「自分自身を大事にすることから始める」ことによって、
自分がそこに楽に居られるようになると同時に、相手の人の話を聴いたり、気持ちに共感していくことも、
とても自然に楽になっていきます。

そのようにして、「言葉」「気持ち」「存在」という3つのレベルすべてで、
相手の人と係わることも容易になっていくのです。

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